2007年11月13日火曜日

絵巻に手紙をみる

小松茂美氏が『手紙の歴史』(岩波新書、1976年)において、江戸後期の出版物のつぎの一枚を紹介した。作者は土佐派の画家、故実家の高島千春である。

この一枚には、「文書」とのタイトルを持つ。今日にいう手紙というものだ。全部で計九つの手紙の画像例を集める。それぞれには「伴大納言」「春日ゲンキ」といった絵巻のタイトルが添えられ、それらの作品の数々は今日にも伝わる。作品名の簡略あるいは相互の不統一(「石山」と「石山縁起」は同じものを指す)は、絵巻のタイトルの流動性よりも、広く知られたものについて、わざわざ全称を書かなくても通じるとの理由によるものだろう。いうまでもなく、これらの画像例は絵巻の画面上で簡単に確認できる。そして、九つの画像はそれぞれ異なる要素をもっていることなどから考えれば、ここには画家の目に留まったすべての例を書き記しているわけではないことを暗示しているだろう。

絵巻好きな読者には、この一枚の内容は、じつにいろいろな意味で興味が尽きない。同じ作品が辿る百年単位の流伝や読まれる歴史、画像の記憶と記録、複写の手段を持たなかったころの読者の限界と、それの対極にあるこの画家のしっかりした筆遣い、などなど。このようにリストしてみても、考えが膨らむ。だが、ここに見られる一番基本的な立場は、やはり絵巻の画面への、内容とは無関係な視線、というものだ。

ここにある画家の関心は、あくまでも古代の人々の生活の中にあった手紙というものの形姿だった。いわば絵巻は、それへの答えを示す最適の資料であり、その資料の応用とは、すなわち物語を伝えるためにあった絵を独立させ、関係ある部分のみ取り出して特定のテーマの下に並べなおすものだった。その結果として、絵巻は本来のストーリーを伝えるという役目から離れて、古代のビジュアル的な文献という性格を遺憾なく見せてくれた。

いうまでもなく、ここまで考えが辿りつくと、近世の学者はすごい、との素朴な感嘆になる。というのは、記録、伝播の手段が大いに進化した現代において、このような方法がそのまま受け継がれ、大きな発展をとげたからである。それの代表格的なものは、ほかでもなく『絵巻物による日本常民生活絵引』(1965年)を挙げなければならない。そして、特定のテーマから絵巻の画像を縦断に見るということは、やがて絵巻に向ける現代読者の重要な視線の一つとなった。当然ながら、千を単位とする絵巻の画面は、このような視線を受け止められるだけの豊饒さを持っている。その結果、今日の社会生活との緊密な関連から出発したこのような読み方は、絵巻の魅力の一端を開拓した。

一方では、絵巻への研究は、画例の蒐集に終始するわけにはいかない。これまた自明なことだ。

最後に、この話題は国文学研究資料館主催の国際研究集会での発表発表を準備する間に出会った。その研究集会の開催は、ついに明日と迫る。

第31回国際日本文学研究集会「手紙と日記-対話する私/私との対話-」

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