2007年12月4日火曜日

海外ということ

勤務する大学はカナダにある。カルガリーという町に住みながら、日本の絵巻を読む、一見奇妙な組み合わせだ。しかしながら、日本と海外とを結ぶわずかな繋がりのようなものがある。それも対象が絵巻だったがゆえの、ほかの、例えば物語、和歌などにはないものなのだ。

それは、美術コレクションとしての、絵巻がもつ巻物という物理的な側面に由来する。

絵巻ものの海外流失は、話題になって久しい。日本国内においても、いまなお市場で流通し、財産として所有者を変える運命をつづける絵巻にとっては、日本の外に渡されることはつねに可能性として持ち合わせる。だが、それにしても、質、量ともに上質なものが海外の公私機関に所蔵されているものだ。あえて言えば、海外のコレクターは、日本国内の平均的な価値判断に左右されない傾向がある。したがって、純粋に綺麗な作品、名前の知られていない絵師によって描かれた丁寧な模作などが喜ばれる。結果として、関心が生まれるまえに海外の地に作品が集まったという皮肉な結果になる。一方では、海外だからこそ注目されやすい要素もあり、日本国内にある同規模のコレクションより海外のものは数倍ももてはやされるというのも、事実である。

英語圏の美術館、図書館に所蔵されるようになったこれらの実物は、自然と若い学者たちの関心の的となり、日本へのアプローチの手掛かりとなる。しかしながら、実際のコレクションの数に比べて、研究はいまだあまりにも少ない。現在も手付かず状態の名品、言い換えれば研究者としての探検の宝庫は、まだまだある。まさにこの意味において、海外に身を置くことにより、宝の無尽蔵にわずかに近い、という思いが得られそうだ。

試しにニューヨークライブラリーのサイトに入って覗いた。例の「スペンサー・コレクション」を有しているところだ。図書館の「デジタルギャラリー」にて、EMAKIと検索すれば、源氏物語を内容とするものは7点、175枚の画像が公開されている。いずれも画像サイズが小さくて、解説もほぼ皆無だが、それでも所蔵の一端が見えて、感心をし、しかも研究の意欲を刺激してくれる。

なお、今日の話題を考えさせてくれたのは、桃山学院大学総合研究所の先生方である。これから大阪に向い、ささやかな発表を行う。(「外国人研究者を囲む研究会」

写真:スペンサー・コレクション所蔵
絵巻・源氏物語(Spencer Jap. MS 67 )

ニューヨーク・パブリック・ライブラリー
(デジタルギャラリー)

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