2013年5月31日金曜日

神様の足

「トーハク」で開催中の特別展は、かなりの評判だ。必ず行っておくべきだと数人の知人から教わり、金曜日にはさっそく訪ねた。考えてみれば、ふだんなら神様、信仰という言葉に落ち着くところを、あえて「大神社」と打ち出したものだから、やはりインパクトを感じる。平日の、それも朝早く入館したせいか、予想したほどの人出がなくて、ゆっくりと見て回ることができた。

展示のスケールは、さすがに大きい。このテーマにはすぐ連想される装束、鏡や神輿などはいうまでもない。個人的に関心をもつ絵巻や絵図、古記録もかなりの点数が出品され、丁寧な説明が用意されたこともあって、自然と見学者の群れが出来てしまう。一方では、神像がすごい数に及んで集まったことは、まさに圧巻だった。展示ホールの一つには、ガラスの展示ケース、それも典型的に西洋の彫刻や東洋の陶磁器を展示するものがずらりと並び、130601その中に神像を一点ずつ据えた。普通なら門外不出どころか、神社の中でもたいていは秘して姿を見せないものがこんな形で一覧できることは、まさに壮観そのものだった。それと同時に、このような新鮮で大胆な展示レイアウトによって、神像はなぜかミニチュアに見えてならなかった。展示説明を読めば、九世紀前後から、奥行きのない脚の造形が神像の基準様式になったと、まったく持っていなかった知識に出会った。神様には足が必要がないのだと、なぜか妙に感心した。ただ、二週間前に改めて見てきた国宝鎌倉大仏もたしかに足を持たない姿だった。このような美術史の常識を、もうすこし習いたいものである。

「国宝大神社展」は明日までだ。見逃したら、あとは分厚いカタログを眺めるほかはなかろう。それにしても、電子書籍が流行る昨今、豪華版の展覧会のカタログが一日も早く電子バージョンと並存することを待ち望みたい。

国宝大神社展

2013年5月26日日曜日

先代萩

休日の午後、特別に調べることもなく銀座界隈を歩きまわった。もともと繰り返し報道された新しい歌舞伎座の様子を覗いてみようと漠然に考えていたのだが、実際に近づいてみたら、なんと立見席の当日券が売られ、それもすぐに開演するものだった。迷わずに列に並び、ほんの十数分ですでに歌舞伎座の中に入った。学生時代、南座の顔見世を楽しんだころに立ち戻ったような錯覚に陥ったのだった。

130526演目は「伽羅先代萩」から二段、きっちりと七十分の舞台に纏められた。このストーリにまったく予備知識を持っておらず、およその展開をなぞったのみで、戻ったらまずはウィキペディアであらすじを確認したぐらいだった。それはともかくとして、実際に劇場に入ったら、さすがに雰囲気が違う。大向こうからの掛け声はあれだけにぎやかで、数箇所からどっと沸いてきて、まさに臨場感たっぷりのものだった。この演目の伝統やら、見所やら、評論家に言わせるときっと数え切れない逸話が残っているだろうが、今日の舞台では、一番のハイライトはやはり二人の子役だった。透き通った、綺麗なせりふには感心をさせられ、「お腹が空いても、ひもじゅうない」という一言は、現代語と古語とが具合よく交じり合って、さすがに伝わって、満場の笑いと拍手を博した。

それにしても、演目の終りの、ライトを落とされた中で鼠の化身が立ち去るという演出は、とりわけ印象的だった。それまで絶妙な鼠の踊りが鮮烈だっただけに、いかにも鼠らしく、仄かな光の中で鮮やかな舞台が幕を閉じたものだった。「陰影をもつ」ことが日本的な美の特徴の一つとされるが、それがまさに思い切って実行されたことで、余韻をもって観客を酔わせた。はたして現代的な感性なのだろうか、それとも歌舞伎のしっかりした伝統の一側面なのだろうか。

2013年5月19日日曜日

斜めの巻物

さまざまな行事の合間を縫って、できるだけ外を歩き回った。その中で訪ねた一つの展示は、楽しかった。神奈川県立歴史博物館で開催されている「江戸時代かながわの旅-「道中記」の世界-」である。展示内容は、道中記というキーワードで纏められる多様な資料や事象だが、キーワードだけでは伝わりが悪いと判断したのだろうか、地域名が持ち出され、しかもそれを平仮名表記という気の配りようである。はたして学芸員による解説まで設けられ、熱心な見学者がかなり集まった。

江戸の旅は、ポピュラーな話題である。それも周到に用意された展示では、浮世絵や案内地図に止まらず、「浪花講」の帳簿や実際の看板まで展示窓の中に納まったものだから、しっかりと見識を広められた。その中で、やはりまずは巻物に目が行く。中の一点、「東海道行程図」(豊橋市美術博物館蔵)には、大いに興味あった。写真は許されず、その様子を記述するにほかはない。一言で言えば、異様な巻物である。横長に広がっていく料紙は切断されて、その先には、続きの料紙は斜めに繋ぎ合わせて、横へではなく、斜め横へと展開していくものである。巻物に記されたのは地図である。地形の様子をすこしでも現実に近づけて描こうとして、記録媒体そのものをかなり無理な方向へと拵えたものである。このような巻物は、巻き戻したらきっと妙な格好になるものだと、想像するだけでも興味が尽きない。それはともかくとして、この事実は、巻物そのものが日常の一つであり、必要に応じてその様相はいくらでも変えられるという、身近な性格が浮き彫りになったと考えられよう。

写真と触れたので一つ記しておきたい。どうやらたいていの博物館の常設展は、写真撮影を許可する傾向がある。神奈川県立博の場合も、申し出さえすれば、名前も聞かないまま許可の札を渡された。ただし、二次利用はだめだと、はっきりと念を押されたことが印象的だった。

「江戸時代かながわの旅」

2013年5月12日日曜日

パノラマの東京

三日ほど前、仕事で東京にやってきた。露入り前の東京は、気候が最高だ。時差ぼけのまま、朝早く起き、歩き出して近くの小高い山に登った。東京都内のビル群を一目に見られるその眺めは、じつに素晴らしいものだった。

時はまさに朝の靄が消えかけたころだった。遠く見られるビルやタワーなどランドマークの建物の姿は刻一刻と変わり、おぼろげなシルエットがあっという間に鮮やかな輪郭に取り替えられた。数日まえ、ラジオ番組から楽しい耳学問が得られた。それによれば、東京都内から富士山が見られる日にちは、いまや年間百二十日前後だとのことである。この数字は、大気汚染が問題だった六十年代の倍近くに当たるだけではなく、驚いたことに、明治時代よりもじつは三分の一ぐらい多い、との結論である。そのような数字を思い出しながら、しかしながら目の前の様子では、とても富士山眺望など望めそうにないことに気づいた。東京にはきっともっと爽やかな天気があるとのことだろう。

130512一方では、今のデジカメ、とりわけ小型のそれは、ふんだんなデジタル処理を加えながら画像を記録することに力を入れて、それの代表格の機能は、いわゆるパノラマ撮影である。複数の画像を自動的に繋ぎ合わせたもので、自ずと人間視力の範囲を超えたものを一枚の画像に取り入れてしまう。画像としてはそれなりに望ましいものだろうけど、自然のパノラマは、やはり一目で見られるものに限る。同感が得られるだろうか。

2013年5月4日土曜日

デジタル・リテラシー

どこで最初にこの表現を聞いたのかすでに定かではないが、デジタル時代の様相を思い描くものとして、妙に印象深いものだった。語ろうとしているのは、デジタル環境への取り関わり方であり、いわば文字の読み書きがほとんどすべての人間にとって基本的な教養として身に付けられたのと同じく、デジタル道具を使いこなすこともやがて大きく普及し、社会生活の中のごく普通の一部になるだろうということである。そのデジタル道具というのははたしてなにかということとなれば、これからも大きく変わっていくだろうけど、現在のことで言えば、とりあえずWEBページを作成したり、データベースを構築したりするようなものである。それを目指して教育の現場において意識的に取り組んでいるわけではないが、現状をあらためて見れば、たしかにデジタル技術が一種のリテラシーのようなものとして展開されている。

そのような身近な具体例をここ数日実際に体験している。学生引率で一ヶ月ほどの語学研修に出かけようとしているが、日本訪問それ自体が初体験だというほとんどの若者たちに対して、見聞を記録するブログを開設するようにとの要求を出した。いまごろの若者は、これをなんの抵抗もなく受け入れ、あっという間に個性豊かでインパクトのあるサイトが構築された。しかもそれがあくまでも自然体のものである。グループごとの作業で、だれか一人が具体的にサイト構築の作業を担当するが、これを作ったということについて、まったく優位を誇示したり、配慮を求めたりするようなことはなかった。グループのために一冊の白紙のノートを用意してあげたぐらいの、ほんのささやかなものだった。クラスで交わされ、週末にかけて与えた作業も、あくまでも内容の選別と、文章を書き上げるための工夫であり、中身への注意を持たせるものである。デジタル・リテラシーが形を持ち始めた一つの姿をここに覗けたように感じてならない。

一方では、いわゆるソーシャルで育てられたこの世代において、デジタル情報そのものの使い方にどこまで敏感なのかは、はなはだ疑問が残る。ブログとは不特定多数の人に読ませるものであって、友人とじゃれあったり、すき放題に書き込んだりするのではなく、緊張感、責任感を持って取り掛かるべきだと繰り返し強調している。思えば、これだってデジタル・リテラシーの一部であり、このような心構えを持たせること自体、教育の一環なのかもしれない。

Senshu 2013