2017年9月16日土曜日

長恨歌絵巻

今学期の講義は始まった。担当のクラスの一つは英語で読む中国と日本の古典。なんらかの形で互いに交流のあった名作を八点選び、これから十三週間かけて読んでいくというものである。最初の一篇はあの「長恨歌」。詩の内容を説明するために、チェスター・ビーティー・ライブラリー蔵「長恨歌絵巻」(狩野山雪筆)を持ち出して、絵の画面を学生たちといっしょに眺めるという方法を取った。

同絵巻は、とにかく詩の再現に最大の精力をかけている。そういう意味においては、詩の文言と画像の内容は高度に呼応し、ところによっては極端なぐらい重複している。その中において、たとえば画像の中での相互のズレ、表現にみる齟齬などを見つけ出し、その理由などを推測することは、一つのテーマになる。いちばん分かりやすいのは、絵巻の最後の部分だろう。詩にある「海上に仙山あり」を描いて、この世にありえない荘厳な楼閣を三回も繰り返し登場させた。道士が訪ねる、貴妃と対面する、会話するという三つの段階を叙事的に表し、それに合わせて、貴妃の寝室は三回とも覗かれるようになっている。しかしながら、それがまったく同じ角度でありながらも、屋根の形、回廊へのつながりなど、それぞれまったく違うものになっている。あえて一つの可能な解釈を試みるのならば、いまごろのファンタジック映画の中によく現れてくる動く建物、変幻自在に姿を変え続けるまぼろしの風景に迷い込んだとでも言えるのだろうか。

思えば十年ほどまえ、国際集会に参加して、修復されて間もないこの絵巻を実際に拝見した(「チェスタービーティー・ライブラリーより」)。研究者たちといっしょに展示ホールに入り、感嘆のざわめきの中でこれを眺め、そして翌日になって、発表の会場から抜け出して一人で展示ケースの前に立ち続けたことは、まるで昨日のことのように記憶に新しい。

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